臨床スポーツ医学 2025年12月号（42巻12号）スポーツと心～アスリートの「メンタル」最前線

スポーツと心－アスリートの「メンタル」最前線－

アスリートの「メンタル」は，パフォーマンスに直結しつつも個人の強さや経験則に委ねられがちな領域だった．だが今，その認識は転換点を迎えている．先のパリオリンピックで「ウェルフェアオフィサー」（心のケア専門チーム）が日本選手団に夏季大会で初帯同したことは象徴的だ．アスリートの心理的負荷と専門的サポートの必要性が，競技戦略の中核として公式に認識されたことを意味する．

背景に，アスリートを取り巻く環境の劇的な変容がある．SNSの普及でファンと直接つながれる一方，競技結果や言動は24時間公私にわたり評価に晒される．過度な期待や理不尽な誹謗中傷が，彼らの精神状態に深刻な影響を及ぼす新たなストレス要因となる．

「多様性の受容」が叫ばれる現代は，社会の価値観も変化した．アスリートは競技成績だけでなく，社会的ロールモデルも期待される．信念の発信や社会課題への言及など，その影響力が増大すると同時に，競技者と個人のアイデンティティの間で葛藤を抱えるケースも少なくない．

この環境変化は，心理支援専門職の役割にも多様化と高度化を求めている．かつてはパフォーマンス向上が主目的だったが，現在は不調を防ぐ「予防的介入」，問題発生時の「危機介入」，ウェルビーイングの視点，引退後のキャリア移行支援まで，領域は大きく拡大している．

だが，「メンタル」という言葉が内包する意味はあまりに広い．現場では，誰が，いつ，どう支援すべきか，いまだ混乱がみられることも事実だ．

本特集は，複雑化するアスリートの「メンタル」に対し，第一線の専門家が実践と最新研究に基づき，現状の課題と未来への展望を科学的に解説する．われわれは「メンタル」を単一でなく，以下の3つの側面から解き明かす．

・メンタル「ヘルス」：精神医学の観点から，不調や精神疾患の予防，早期発見，治療を論じる．

・メンタル「トレーニング」：スポーツ心理学の観点から，集中力，自己対話，リラクセーションなどの「技術」に加え，全人的視点に基づいたカウンセリングなども扱う．

・メンタル「ケア」：社会医学・公衆衛生学の観点から，個人へのケアに留まらず，アントラージュ（周囲の支援者）を含めた「環境」へのアプローチと包括的支援体制の構築を展開する．

本特集がスポーツ現場で日々アスリートの可能性を信じ，彼らと真摯に向き合っている指導者，医療スタッフ，競技関係者，そして彼らを支えるご家族の皆様にとって，多様化するアスリートの「メンタル」をいかに包括的に支えていくべきか，その具体的な「道しるべ」となることを心より期待する．

最後に，精神科医としての礎を築くに当たりご指導いただいた大阪大学 池田学先生，慶應義塾大学 三村將先生，日頃からスポーツ医学の面で貴重なご助言・ご指導いただいている松本秀男先生，中嶋耕平先生，髙澤祐治先生に，この場を借りて厚く御礼申し上げます．

特集編集：山口達也（国立スポーツ科学センター）