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- 医療から行動経済学を再考する アタマとこころと仕掛け
商品情報
内容
「エビデンスを示しても,なぜか伝わらない」
現場で繰り返されるこの違和感を,相手の理解不足や意志の弱さで片づけていないだろうか。
本書は,それを「人間の意思決定の構造」として読み解く,行動経済学実践書である。
構成は大きく4段階。
第0章では,錯視などの身近な例を通して,私たちの認知がいかに容易に歪むかを体感する。
第1章では,価値・確率・時間といった数字ですら主観的に変形されることを,プロスペクト理論や現在バイアスを手がかりに整理する。
第2章では,選択肢の並べ方,社会規範,デフォルト設定など,意思決定が「文脈」に強く依存する構造を明らかにする。
第3章では,それらの理解を土台に,行動変容を促す「仕掛け(デザイン)」を体系化。説得に頼らず,再現性のある介入設計の枠組みを提示する。
最終章では,精密ナッジや実装科学といった最新の潮流にも触れ,個別最適化と社会実装の可能性を展望する。
本書の特徴は,「こころ(直感)」「アタマ(理論)」「仕掛け(設計)」という3つの視点を往復しながら理解を深める点にある。
直感で共感し,理論で整理し,構造として実装する——そのプロセスを通して,「説明しても伝わらない」という課題を,個人の問題ではなく,設計可能な,介入できる問題へと変える。
理論紹介にとどまらない,診断から介入設計,そして実装までを学び,意思決定支援と行動変容を,精神論ではなく構造として捉え直すための一冊。
序文
序文
はじめに
医学は「Science」であり「Art」である
なぜ,今「経済学」の本を書くのか
私は普段,市中病院の循環器内科医として勤務しています。
外来では高血圧や心不全の患者さんに生活指導や薬の処方を行い,カテーテル室に入れば,詰まった冠動脈をバルーンで広げてステントを挿入するといった,いわゆる「手技」を伴う治療も日常的に行っています。その一方で,循環器領域における緩和ケアなど,まだ先駆的とされる研究にも取り組んでいます。また,病院全体の医療の質を管理・向上させるQIセンター(Quality Improvement)医療の質管理室長として,膨大なデータに向き合いながら医療の質改善の活動を行い,学会活動などを通じてさまざまな方々と交流しながら,より新しい知見を追求しています。
そんな「臨床最前線の医師」であり「データオタク」でもある私が,なぜ今,あえて「経済学」の本を書いているのでしょうか? 書店で本書を手に取った方の多くは,「医学書コーナーになぜ経済学?」と不思議に思われたかもしれません。あるいは,「病院経営や開業のための金儲けの本か?」と勘違いされたかもしれません。申し訳ありませんが,儲かる話は書いていません……。
私が本書を書いた理由は,これまでの「医学(Science)」とされていたものだけではないアプローチを知らないと,目の前の患者さんを救えない時代になったからです。
皆さんは,臨床現場でこんな経験はありませんか?
・「 禁煙しないと心臓の血管が詰まりますよ」と,前回外来で時間をかけてあれほど論理的に説明して納得したと思ったのに,外来で入ってきたときからタバコの臭いが隠し切れない患者さん。
・ 科学的には明らかにメリットのほうが大きい標準治療なのに,「なんとなく怖いから」「近所の人がやめたほうがいいと言ったから」という理由で拒否する患者さん。
これほど,無力感と疲労感(時には怒り)にさいなまれることはありません。
私たちは医学部で,またはその後も,病気のメカニズム(生理学)や薬が効く仕組み(薬理学),そして最新のエビデンス(統計学)を徹底的に学びます。これらはすべて「Science」です。しかし,「なぜ患者は正しいエビデンスに基づき行動できないのか?」という問いに対する答えは,医学部の6年間でも,研修医時代の過酷な当直でも,誰も教えてくれませんでした。先輩医師の方々も同じようなつらい経験をされており,これらを独自の哲学や,個人に最適化された方法論で解決しようとする後ろ姿を見てきました。
私は,こうした「正しさ」と「行動」の間に生じるズレを,もう少しだけでもいいので理論的に理解したいと思いました。その「ギャップを埋めるピース」こそが,行動経済学です。
行動経済学とは「人間のバグ」を愛する医学である
行動経済学を一言で定義するならば,「人間は必ずしも合理的ではない」という前提に立った経済学です1)。少し難しい表現をあえて使うとするならば,従来の経済学(古典的経済学)では,「人間は自分の利益を最大化するように,常に合理的で冷静な判断を下す(ホモ・エコノミカス)」と仮定してきました。
しかし,現実はどうでしょう? 私たちは,夏休みの宿題を最終日まで先延ばしにしてしまいますし,ダイエット中なのに目の前のケーキの誘惑に負けてしまいます。損をするとわかっていてもギャンブルに熱くなってしまうものです。医療現場でも同じです。患者さんは感情を持ち,誘惑に負け,周りの空気に流される合理的とは程遠い「人間」です。
行動経済学は,こうした人間特有の非合理な行動を,単なる「わがまま」や「理解力不足」として片付けるのではなく,「予測可能な心の癖(バイアス)」として科学的に分析する学問です。心理学的な要素の一部を,伝統的な経済理論を拡張・発展させる形で組み入れた経済学の一分野とも表現されます2)。重要なのは,ある程度「予測可能」として取り扱うことです。行動経済学者のダン・アリエリーが指摘するように,私たちは「予想どおりに(predictably)不合理」なのです3)。そして,人というものはそういうものであるという深い理解のもとで向き合う必要があります。
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People are often unreasonable, irrational, and self-centered. Forgive them anyway. 4)(人は不合理で,わからず屋で,わがままな存在だ。それでもなお,人を愛しなさい。)
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つまり,本書は経済学の本という皮を被った,「人間の非合理性という病理を解き明かし,理解するための入門書」なのです。
オスラーから考える行動経済学:現代医学におけるアート
ここで,現代医学の父,William Oslerの有名な言葉を借りたいと思います5)。
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The practice of medicine is an art, not a trade;a calling, not a business;a calling in which your heart will be exercised equally with your head.
(医療はアートであり,取引ではない,使命であって商売ではない。その使命を全うする中で,あなたはその心を頭と同じくらい使うことになる。)
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この言葉は,現代の医療行動経済学の文脈においてこそ,真の意味を発揮します。本書では,この多様な対応という個別化の意味で限定的に使われることの多いArt & Scienceを現代的に再解釈し,次の3つの柱(フレームワーク)で構成します。こころとアタマ,そしてそれらを踏まえた仕掛け(アート)です。この3つで理解することで初めて,患者さんの行動変容という難題に立ち向かうことができます。
本書ではまず,「こころ」の動きを直観的に理解する。次に,その背後にあるメカニズムを理論として「アタマ」で理解する。そのうえで,それらをどのように「仕組み」としてよりよい結果に向けて活用できるかを考えていきましょう。
1.こころ
これは,患者さん(そして私たち医療者自身)の行動を,直観や感情といったレベルで捉える理解です。まさに「心」理学的な本質を突いた,直感,感情,そして「ついやってしまう」非合理な反応(System 1)を指します。従来の医学教育では,感情や非合理性はどちらかというとあまり前向きには扱われなかった傾向があります。しかし,行動経済学ではこれを「人間が進化の過程で身につけた自然な機能」として尊重します。「なぜ患者さんはそうしてしまうのか?」を,アタマで裁くのではなく,こころで理解・共感する。人間・ヒトというものにはそういう傾向があるということを,皆さんにも直観的に理解していただく必要があります。
2.アタマ
これは,従来の医学や経済学が前提としてきた「合理性」の世界です。経済学では,こころ=直感的には理解しやすい判断や選択を,どのように合理的に説明・整理できるかという観点で「アタマ」をフル回転させます。特に,直感的な判断と,合理的な考え方との間に生じる「ズレ」をグラフや数式を交えながらより深く理解していきます。これらは,熟考に通じるSystem 2的な思考と考えていただいて構いません。
そのズレを精緻に理解することは,実際の介入(治療)に役立つだけでなく,その一歩先にある「人間というものの傾向」そのものを理解することや,学術的・学問的な美しさを感じることができるのではないでしょうか。
3.仕掛け(アート)
オスラーの言う「アート」とは,聴診器の当て方や手術の手捌きといった「個人の職人芸」や,患者への思いやりだけを指すのではないと考えています。医療におけるアートとは,「環境設計・仕組み・ナッジ(Nudge)」,もっとカッコよく言えば「デザイン」のことも指すと考えています。
話術に長けた医療従事者が「頑張って痩せましょう」と説得する職人芸も素晴らしいのですが,「食器のサイズを小さくする」「食堂のメニューの配置を変える」といった介入は,誰がやっても効果が出る可能性がある「構造(architecture)」のデザイン,仕掛けができることを理解してほしいのです。
以上から,患者のため,いや,医療従事者や意思決定者のためにも,私たちは「こころ」「アタマ」「仕掛け」という3つの柱から理解することが重要だと考えます。これは技術であり,コンピテンシーです。これからの医療者に求められる真のアートといえるでしょう。
注:一般的にはアタマは知識,こころは患者の気持ちを表現することが多いかと思いますが,本書では切り口が異なります。
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文献
1) Ogaki M, Tanaka SC. What is behavioral economics? Behavioral Economics. Springer, 2017.
2) 室岡健志.行動経済学.日本評論社,2023.
3) ダン・アリエリー.予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」.早川書房,2013.
4) Keith KM. Anyway. Berkley Books, 2004
5) 大生定義.医学教育とプロフェッショナリズム.日医大医会誌2011; 7: 124-128.
目次
0 眼は口ほどに「嘘」をつく
認知バイアスの正体~準備体操~
I 「数字」ですらそのまま理解できない自分
主観的感覚と客観的事実のズレ(理論の理解➀:内的診断)
01【価値の歪み】1万円の重さは「量」と「基準」で変わる?
02【利得と損失の歪み】喜びよりも「悲しみ」のほうが2倍大きい?
03【確率の歪み】「0%」と「100%」は特別?
04【時間感覚の歪み】「明日やる」=「永久にやらない」?
II 文脈(Context)に依存する自分
社会・規範と環境の影響(理論の理解➁:外的診断)
01【選択肢の影響】脳は「絶対評価」ができない?
02【初期値の影響】人は「現状維持」の引力に勝てない?
03【社会の影響】「誰が言ったか」が情報の価値を歪める?
III 介入するための仕掛けのデザイン
行動変容を加速させる「5つの設計(デザイン)」
00【介入強度のデザイン】介入するとは自由を奪うこと?
01【選択アーキテクチャのデザイン】
02【自律的コミットメントのデザイン】
03【認識フレーミングのデザイン】「見せ方」で評価が逆転する?
04【再現性を生む実装のデザイン】フレームワークは何のため?
IV これからの介入方法・研究デザインを探索する
精密ナッジと実装科学(予後管理と未来の展望)
01【平均値の罠】目の前の患者は,本当に「平均値」の中に存在するか?
02【実装科学とPDCA】ナッジを「文化」にするまでに…
03【「操作」から「自律支援」の未来へ】デジタルが拓く精密医療の到達点
Column
脳の中に住む「2人の自分」
数字とデジタルの関係
個人の選好
なんとなく2桁から3桁ぐらいがちょうどよいパーセント
あなたは「無自覚」な楽観主義者? それとも「自覚的」な戦略家?
「今」って何秒ぐらい続く?
順番と数
デフォルトと経路依存―「今」の設計か,「過去」の引力か
孤立と共鳴―ネットワークが規定する「情報の重み」
介入のはしごと仕組みと仕掛け
減塩から「置換」へ―進化する生活習慣改善のデフォルトの可能性
自己責任論と選択可能なコミットメント
なぜ私たちは「名前」を付けるのか―記憶の回帰に抗うための生存戦略
抽象化の罠
PDCAの進化-連続性と断絶の間で
医療イノベーションの分水嶺-「努力」を「介入」が上書きする日
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書籍情報
- ISBN:9784758323031
- ページ数:168頁
- 書籍発行日:2026年4月
- 電子版発売日:2026年3月18日
- 判:A5判
- 種別:eBook版 → 詳細はこちら
- 同時利用可能端末数:3
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